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かなり極論ですが、あなたのお子さんが暴力や犯罪を礼賛するようなマンガを読んだとして「将来は俺もこんな風に生きたい!真面目に働くのはバカバカしい!金を儲けた者が勝ちだ!」ということを言い出したとしたら、親であるあなたはお子さんになんと言うのでしょう。お子様がいらっしゃらない方もちょっと考えてみてください。

さすがに「いい夢を持ったな!夢は叶えるものだぞ!」なんて親御さんはいないと思いますが、しかし「さてどうしたら子供に納得してもらえるんだろうか」と悩む人は多いかもしれません。

とはいえ「夢は持てさえすればいい」というものではなく、家族の立場や視点からやはり反対するところは厳しく反対しなければならないはず。

そしてこれは、あなたのお家づくりにも同じようなことが言えます。

万が一にも家族の誰かが暴走しそうになったら別の家族が反対しなければならない。厳しく言うべきところはやはり言わないとなりません。お家づくりには家族全員の将来や期待や運命がかかっているからです。

ところが最近は反対をする・反論をするということに慣れていない、つまり反対をされる・反論をされることにも慣れていない人がとても増えました。

特に日本では意見と人格を混同されがちなのか、少し意見が異なっただけで「俺の(私の)事を否定するつもりなのか!?」と人格を非難されてしまったように感じてしまいます。

そういった軋轢を回避したいがためにある家族の主張だけが優先され、他の誰かが置き去りになってしまう。

ひと昔前だと「俺がこういう家を建てるって決めたんだから、女子供は口出しをするな!」なんて男性優位の時代があったようですし、今は逆転した感じがありますね。

「妻の意見が強くて・・僕の意見を通したら後でなんて言われるか怖くて・・」という男性の声をよく聴くようになりました。

・・・しかし果たしてこれで本当に楽しくて美しい家になるのでしょうか?

例えば、子供の学区を優先したい奥様と、住宅性能の高さを優先したいご主人との対立。

ご主人は「家は子供が卒業したあとも長年暮らすんだから、あとあとお金がかからない方が望ましい。20年後にメンテナンスで300万円払え、なんて言われたくないよ」と言えるかどうか

例えば、東京都にこだわりたいご主人と、郊外でも収納量にこだわりたい奥様との対立。

奥様は「都心に暮らすとはいえ、家の中が散らかってしまっては生活の質が落ちてしまう」と言えるかどうか。

例えば、立地にこだわりたい奥様と、耐震性能にこだわりたいご主人との対立。

「万が一大地震が来て家が倒壊しても住宅ローンは残ったままだし、誰も何の保証もしてくれない状況をどう考えているのか」と言えるかどうか。

家族間で対立、軋轢を起こしたくないのは誰だって一緒です。私だってそうです。愛する妻とケンカなんかしたくありません。

しかしここ一番という場面だけは踏ん張らないとなりません。そして家を建てる・買うというのはここ一番の場面です。ここだけは、どうかがんばってほしい。

討論のコツは最初に「意見は意見、人格は人格である」と宣言しておくこと。そのため相手の人格を非難してはなりません。また過去の諍いを持ち出して「お前はあの時ああだったじゃないないか」というのも禁句。しかしそれだけをルールにしたら、大抵の話し合いはうまくいくはず。

くれぐれも「私には何も主張するタイミングがなく、いつの間にか家が選ばれていた」ということが無いことだけは願っています。